読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

可哀想な人

職場に、クソウザい人がいる。

残念ながら私と私の上司はその人と一緒に仕事をしているので日々ストレスがつのる。

 

仕事が出来ないとかそういうのではなく、いかんせん気分屋で権力に従順で人により態度を変える。

人間としてウザいのだ。

 

機嫌の良い時に話しかければ普通に喋るのだが、機嫌が悪い時はこちらの事を見向きもせず露骨にため息をつく。

何か気に食わない事があると笑いながら「は?そんなんで良いと思うの?」と言ってくる。

腹が立つようなメールの返信をしてくる。

でも、そんな時でも自分よりも偉い人と話す時はヘラヘラヘコヘコする。

 

見ていて腹が立ってイライラする。

それを指摘しない周りにも腹が立つ。

 

だけれども、昨日はもはや腹が立つとかではなく、その人の事が可哀想になった。

きっとその人はこの先もそうやって人をイライラさせながら生きていくのだろう。

それはその人の性格だったり、環境によるのだと思う。

いずれにせよ、そうやって人と接している限りは誰も彼を信頼しないし助けたりしない。

現に、私は彼を助けたいとは欠片も思わない。

苦しむなら勝手に苦しめという感じである。

そうやって表面上の付き合いで生きていくことしかその人には出来ないのだろうとおもうと、なんだか可哀想になった。

そうしたら、少しはイライラも軽減された。

 

だが、それは他人事ではない。

私もそうやって思われているかもしれないし、誰からも助けられない人生を送るかもしれない。

そうならないために、少なくとも人と接する時は、きちんと相手の話を聞いて、「ありがとう」と言葉を忘れないでいようと思うのだ。

せねばならない不自由

仏教まとめは本日はお休み。

意外とまとめるのも大変なのです。

 

なんだか最近は常に疲れているような感じがします。

肉体ではなく精神が。

 

常にやらなければならないことが多くて、それに従って日々を過ごしているような感覚があります。

 

仕事しなければならない。

勉強しなければならない。

仏教についてまとめなければならない。

休まなければならない。

 

何かを始める時、大抵の人は「したい」から始めます。

しかし、それがいつしか「しなければならない」に変わると義務になり、自らを縛る鎖となります。

私にとって「しなければならない」は、先んじてスケジュールに入っているもので、言ってしまえば仕事です。

だから、自由とか開放という言葉とは真逆で、不自由と束縛の意味を持っています。

自分で始めたものなので仕方がありませんが、そういったものに縛られながら毎日を生きるのは精神的に追い詰められていきます。

そんなもの、精々仕事だけにしてほしい。

 

原因は私の性格。

真面目過ぎるが故にあれもこれもちゃんとしなきゃ、と思うきらいがあるようです。

仕事と違ってやらなくても怒られないものであればやらずとも良い。

真面目であることは良いことです。

しかし、それで疲れてしまうのでは意味がない。

真面目さを上手に使いこなす為に、それと対になる緩さが必要なようです。

【仏教まとめ2】縁起と無常

前回は仏教の成り立ちについてお話ししました。

mochiarion.hatenablog.com

 

その最後で、以下の疑問が発生しました。
「なぜブッダは自らの教えを広めようとはしなかったのでしょうか?」

それは、ブッダが自らの教えは常人には理解することが出来ないからだと思ったらでした。

今回から何回にかけて、そんなブッダの教えのエッセンスを頑張ってまとめてみようと思います。

 

今回は、その教えを理解するために必要な仏教の大事なキーワード、縁起無常についてまとめます。

 

 

縁起とは、世界中のあらゆるものは原因と結果で成り立ち、関係性の中で存在しているという考え方です。

例えば、あなたがこの記事を読んでいる今、あなたはあなた自身としてこの記事を自らの意志で読んでいることでしょう。

しかし、あなたがこの記事を読めるのは私がこの記事を書いたからであって、私が書いて、公開して、あなたがたどり着いたからこそ記事を読めているのです。

さらに遡れば、私がこの記事を書いているのは仏教に興味があって学んだからで、それは休職したからで、それは今の会社に入ったからで…という風に、過去に遡れば必ず事象の前には原因が存在するのです。

このように、原因があるから結果があるという連鎖により、あらゆるものは関係性の中に存在しているという考え方が、縁起の考え方です。

 

次に無常とは、この世界のあらゆるものは常に変化し、変わらないものは存在しないという考え方です。

読んで字のごとく、「常なるは無し」です。

この考え方は上述した縁起から発生します。

世界のあらゆるものは原因と結果から成り立っているということは、あらゆるものは常に変化するのです。

例えば、上述の記事の例で言えば、この記事は私が書いたもので、私が書いた情報がサーバー登録されているから記事を読めるという結果になっています。

しかし、例えば何か災害が起きてサーバーがぶっ壊れたり、はてなが倒産してサービスが停止すれば、サーバーも停止するので、記事を読むことが出来なくなります。

そうすれば、私はもう記事を書くことは出来ませんし、今読んでくれている方も記事を読むことが出来なくなるのです。

このように、あらゆるものが関係性の中で存在しているが故に何か一つに変化が起きるとそれが様々な部分に影響を及ぼし、不変なるものは無いとする考え方が無常なのです。

 

以上が、仏教における大事なキーワード縁起と無常の説明です。

ここまではなんだか当たり前のことのように思いますね。

では、この縁起と無常であることが何か問題があるのでしょうか?

次回はその点をまとめようと思います。

 

ポイントをまとめると以下です。

  1. 縁起とは、あらゆる物事が原因と結果、関係性の中に存在しているという考え方。
  2. あらゆるものが縁起の中に存在するが故に常なるものは無い、とする考えが無常。

 

 

 

※あくまで個人が勉強した結果を個人のアウトプットとしてまとめているものです。

可能な限り書籍を参照して情報を集めていますが、間違っているポイントなどあると思います。

そのような点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

【仏教まとめ1】仏教の成り立ち

何回かに分けて、ほそぼそと仏教について学んだことをまとめていこうと思います。

まずは、ざっくりと仏教の成り立ちから。

 

 

仏教は、世界中で約4億人の信者がいる世界三大宗教の一つです。

その期限は紀元前5世紀前後のインドにあります。

 

当時のインドのシャカ族の王族としてゴータマ・シッダールタが生まれました。

これが、後の仏陀ブッダ)です。(仏陀ブッダ)は「悟った者」という意味)

シッダールタは母親の脇から生まれ、世に降り立った瞬間に七歩歩き、右手で天を、左手で地を指しながら「天上天下唯我独尊」と唱えたと言われています。

 

さて、シッダールタは王族であったので、妻と子供もいて王子として何不自由ない生活を送っていました。

しかし、彼が10代の時、後に彼を出家へと駆り立てる出来事に遭遇します。

彼が国の門から外に出ようとした時、

東の門を出た時、老人に出会いました。

南の門を出た時、病人に出会いました。

西の門を出た時、死者に出会いました。

そして北の門を出た時、出家者に出会いました。

これが「四門出遊」というもので、人間が避けられない老、病、死、そして世間から一線を画する修行者の存在を彼が意識した瞬間です。

 

お金も生活も何不自由ない生活を送りながらも、人間としてどうやっても避けられない老、病、死という苦しみとどう向き合えば良いのかに悩んだシッダールタは、29歳にして出家を決意します。 

出家者として旅を続けながら瞑想や修行を続けた彼は、35歳の時、菩提樹の下で瞑想をしている時に悟ります。

これが、シッダールタがブッダになった瞬間です。

 

悟った後、ブッダは自らが悟った真理とその方法を他者に教えることを拒みました。

それは、あまりにも常人の考えとかけ離れすぎていて、普通の人では理解することが難しいと考えたからでした。

そんな教えと彼の考えを聞いた梵天(インドの神様みたいなもの)は、その素晴らしさに感動し、是非他の人にも広めてほしいとブッダに頼みました。

これが、梵天歓請です。

その後押しを受け、ブッダは自らの教えを広めることにします。

これが仏教の始まりです。

 

ブッダは世の人々に様々な言い方で自らの教えを説いていきました。

徐々に弟子達が増え、大きな教団を形成するようになりました。

80歳でブッダがその生涯を終えた後も、弟子達はブッダの思想、教えを広めるべく、様々は派閥を作りながら世界中に広まっていきました。

そのようにして2000年以上の時間をかけてブッダの教えが広まった結果が、今日の仏教なのです。

 

 

以上が、簡単な仏教の成り立ちです。

仏教の成り立ちについて大まかなイメージをつけられましたでしょうか?

大雑把に言うと、ブッダが説いた、悟りを目指すための教えを実践することが、仏教の本質ということです。

 

最後に、ポイントをまとめます。

  1. 仏教は紀元前5世紀のインドで生まれた。
  2. 仏陀ブッダ)の悟る前の名前は「ゴータマ・シッダールタ」。
  3. 悟った後のブッダは当初、自らの教えが常人には理解出来ないとして、広めようとはしなかった。

 

ここで気になるのは3番のポイントです。

なぜブッダは自らの教えを広めようとはしなかったのでしょうか?

次回は、ブッダが説いた教えの中身を何回かに分けてお話しさせていただきます。

 

 

 

※あくまで個人が勉強した結果を個人のアウトプットとしてまとめているものです。

可能な限り書籍を参照して情報を集めていますが、間違っているポイントなどあると思います。

そのような点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

Pythonの勉強方法

今回はPythonの勉強方法について書きます。

勉強方法とは言え、まだ初めて一月位なので大したことは言えませんが。

 

まず、私が勉強を始めてすぐ、Pythonの変数宣言すら知らなかった頃に使ったサービスが、Progateです。

prog-8.com

これはRubyPython、htmlなど、複数の言語について学べるサービスです。

似たようなサービスにドットインストールがありますが、大きな違いはこちらはスライド形式だということ。

一つのテーマごとにスライドで説明があり、その後演習問題を解くという形。

以前紹介したClou9同様、自分のPCに環境を構築しなくても勉強出来ることが良いです。

唯一の欠点は、Pythonに関するコースがまだ充実しておらず、割かし早い段階で勉強がストップする点。

しかし、Python文法の基礎に関して丁寧に学べるので、非常に良いサービスです。

また、他の言語も気軽に学べるので、気分転換も出来るのが良いですね。

 

 

Progateでの勉強が終わった後に私が始めたのがCheckiOです。

py.checkio.org

これは、JavaScriptPythonについてゲーム形式で学べるサービスです。

難易度別に問題が分かれていて、基本的なStringやintの扱いから、ループ分の扱い方まで、様々な問題があります。

一番の面白いところは、他のユーザーの回答が見れること。

自分が頭を捻って考えた回答も、他のユーザーは一行で書いていたりする。

「そんな書き方があったのか!」と驚くことがありますし、新しい視点を得るのに非常に役立っています。(他の人のコードを読むこと自体面白い)

今のところ初級問題をひたすら解いていますが、なかなかの難易度です。

今はこちらで楽しみながらPythonに慣れています。

 

 

最後は、書籍です。

ChekiOで実践するのは良いのですが、知識が散漫になってしまうので、まとめ役としての書籍を買いました。

ちょうど昨日買ったのが「入門 Python3」。

入門 Python 3

入門 Python 3

 

技術書といえば(分かりにくい)のオライリーからの本。

こちらは通常の本よりも一回り小さくて持ち運びがしやすいです。

また、「入門」とある通り、書いてあることはProgateで学んだことが半分以上。

ただし、技術書らしくもう少し細かく書いてあるので、リファレンスとして使えそうです。

後半はWebサービスやDBの話で、もう少し踏み込んだ話になるようなので、ちょうど初心者から初心者脱出までという位置づけだと思います。

 

 

以上が、私がPythonを勉強している方法です。

まずはこれらで基本的な関数や考え方、プログラムを書くということに慣れて、ある程度したら人工知能の方に進めればと思います。(いつになることか)

多少自信がついたら勉強会とかに行くのも良いのかと思っています。

 

他にも良い勉強方法があれば教えていただけると幸いです。

空白

文章を書くとき、空白というものが必要です。空白がない場合、文章が詰まってしまい、非常に読みづらくなります。確かにスペースをなくして少ないスペースでより沢山の情報を詰め込めるという意味では有用ですが、読みにくかったならば本末転倒。文章とは他人に読んでもらうためにあるもので、いかに情報を沢山詰め込むかということは目的ではなく、読む人が読みやすいことを第一に意識するべきなのです。(私がそれを出来ているかは置いておきましょう)

 

空白があると何が良いかというと、頭を整理出来ることだと思います。

つまり、書き手が伝えようとしていることを整理、咀嚼、理解するための時間が出来るということです。

また、テーマの変化を視覚的に表現することで意味的にではなく視覚的にも区切りを明確化させることが出来ます。

このような効果により、空白を効果的に用いた文章の方が読み手にとってはありがたいのです。

 

 

とはいえ、

空白が

 

多すぎるのも問題  です。

 

 

空白は

 

    効果的に、意味を持って使って

 

こそ

 

意味があるので、

 

     無意味に  使うことは

 

逆に

 

読む人を      混

 

乱させる

ことに             つながるのです。

 

 

これは文章以外の事柄にも当てはまることだと思います。

 

何事も詰め込みすぎると疲れます。

常に効率化、前に進むことを意識しながら生きることは息が詰まります。

何も考えず、何もしない時間。

そのような時間を意識的に適度に作ることで、考えや行動、経験を整理、咀嚼、理解することが出来るのです。

空白があるからこそ、その次を得ることが出来るのです。

 

手放すが故に手に入れられる。

皆様も、適度な空白を上手く使って下さい。

 

【感想】「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)/汐街コナ

ちょいちょいTwitterに出ている漫画を書籍化したもの。

偶然本屋で見て、迷わずに手に取りました。

 

基本的には漫画で、文章少なめ。

コマ割りと絵、メッセージがとてもシンプルで漫画として読みやすいです。

 

書いてあることは、タイトルの通り「何故精神的には追い詰められた人は死ぬまでいってしまうのか」ということ。

それを、組織とか制度の面ではなく、当事者の精神状態という面から非常に分かりやすく解説しています。

 

例えば、冒頭に出てくる話。

目の前にある道を進む中で、様々な選択肢があるにも関わらず、色々な理由をつけてそれを塗りつぶしていく。

そして、最終的にはもうこれ以上進めない一本道が残り、力尽きていまう。

これは、まさに私が体験したことと同じで、読んでいて涙が出そうになりました。

 

感情が一杯になると涙が出ること、カウンセリングには気軽に行った方が良いこと、他人と自分には個体差があるなど、私が経験して、このブログでもちょいちょいお話してきたことが全部入っていて、しかも分かりやすい。

こんな本が世に出て、色々な人に知ってもらえて、本当に良かったと思います。

 

本書は、筆者の経験をベースにブラック企業によって精神的に追い詰められるということが書かれています。

しかし、精神的に追い詰められることは、何もブラック企業に限ったことではありません。

どんなにホワイト企業でも、死ぬ人は死にます。

逆に、どんなにブラック企業でも、死なない人は死にません。

それは、人間には個体差があるから。

そして、その個体差に環境が合っていたり合わなかったりするから。

そんな当たり前の事も、「頑張らなきゃ」とか「自分は出来ない」とかいう自分を追い詰める言葉は見えなくさせます。

その姿は、他の人からするとほんとうに痛々しくて辛いものです。

そんな時に必要なのは客観的な目。

自分がどれだけ追い詰められて、苦しんでいるのか教えてくれる目です。

本書は、きっとその一助になることでしょう。

 

今辛い人は処方箋として、辛くない人は予備知識として、もっと年上の方にはもう今までの考え方は通用しない事を理解する為の教科書として、本書を読んでいただきたいです。

 

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)