緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

二つ目

いきなりだが、二つ目のブログを持つことにした。

私のトレーニング記録

こちらは筋トレやその他トレーニングに特化したもので、日々のトレーニング記録をする為のものである。

元々はこちらのブログに筋トレについて書いてはいたが、別の雑記などと混ざってしまい統一感が無いので別出しをしようと思った。これまでの筋トレ系の記事も新しい方に移行予定である。

新しい方は、日々トレーニングをしたその記録を書くだけの簡素なものとする予定である。こちらのブログは止めるつもりはなく、思いついたままに、雑記を書き連ねていく。

これからは両ブログ共々どうぞよろしく。

軸足

思えば、私は軸足が無いように思う。つまり、私というものを強く規定する何かが存在しないのだ。

私が読者になっている方々のブログを見ると、ある人はアートについて、またある人は、カウンセリングについて書いていて、全ての記事がそのテーマに繋がっている。ある一つのテーマに沿って、その視点から物事を見て書いた記事は、独特の深い洞察があり、ある時は鋭く、ある時は新しく、読んでいて惹き込まれる。

翻って私はと言うと、書くことはかなりバラバラである。ある時は筋トレであり、仏教であり、雑記だったりする(プログラミングは完全に沈黙した)。それらの記事は、ある一つの視点から見ている訳ではない。ただ思いついたままに、ありあわせの知識で書いているだけである。その為、一つ一つの記事が浅く、薄い。洞察といったものは無く、ただ表面を流れていくだけのものである。

これはブログの記事のみならず、私という人間そのものにも言える。私という人間を問われた時、私は上手く答えることが出来ない。「私は25歳の会社員で、神奈川県に住んでいて…」という事実を答える事は出来る。しかし、好きな事や大事にしていること、英語で言えば「What is your passion?」という質問に答える事が出来ないのだ。それだけ強いものが私の中に無いからである。

それは、私の過去と関係しているように思う。これまでの人生、小さい頃から親の機嫌を伺って生きてきた。中学受験から就活までも、極端に言えば親の言うことを聞いてきた。私の中に「私」というものが無く、外部からの評価や指示に依存してきたのである。だから、「あなたは何?」と問われた時に客観的な事実は答えられたとしても、主観的な想いが答えられないのである。

きっと私は、ようやくこの年になって自分というものを見つけ、作り出そうとしているらしい。なんとか自分が好きだと言えるような、熱中出来るような何かを探そうとしているらしい。その作業は中々難しい。色々な事に挑戦するのはエネルギーがいる。お金も時間もかかる。だがしかし、それらを通じてこそ、きっと私は私を本当の意味で規定出来るようになると思うのだ。

いつか私が「あなたは何?」という問に答えられるようになる日まで、私はそれを探し続けるのだろう。

お盆

朝、いつものように最寄り駅のホームで通勤電車を待っていると、いつもよりも断然人が少ないことに気付いた。世間は今お盆であるらしい。そういえば、先週の金曜日、三連休初日、東名高速道路が60km近い渋滞であるというニュースを見た。1km進むのに20分もかかったらしい。なんともご苦労な話である。

多くの企業は、お盆になると夏休みになるらしい。私の会社はそんなものはなく、各自取りたい時に取れという仕組みなので、全く関係ない。だから、この一週間は通勤電車が空いているということである。助かる。

私には、このお盆というものがよく分からない。生まれも育ちも神奈川県で、「実家に帰省」という事とは無縁の人生を歩んできたので、お盆だからどう、というものを経験していないのだ。

お盆は先祖の霊が現世に帰ってくるのを迎える期間らしい。久々に田舎のジジババに孫の顔でも見せて家族団らんを過ごそうというのが主な趣旨と思う。その考え方自体は素晴らしい。しかしながら、お盆に無縁の私は、その考えに拘泥して全員が画一的に休みを取る必要があるのだろうかと思ってしまう。

日本人は「皆一緒に」が大好きである。こと休みに関しては、GWを始め、様々な祝日等があり、皆一緒に休みを取っている。強制的に休みになるのは良いのだが、その反面皆が一斉に旅行や遊びに出かけるため、各地の観光地が混雑する。観光地的にはピークが見込めるので楽なのかもしれないが、行く側としてはどこに行っても大混雑で、心休まるどころの話ではない。お盆も然りで、わざわざクソ混んでいる高速道路を使って旅行に出かける必要なんてないであろう。車の中では子供たちがごねり始め、両親はイライラし、仕舞には阿鼻叫喚か無言の気不味い雰囲気になるのがオチである。

そんな事になるくらいであれば、皆バラバラに休みを取り、空いているタイミングで旅行に行ければ、もっとゆとりが持てるのでは無いだろうか。「お盆という伝統が」という人もいるであろう。しかしながら、世は移ろいゆくものである。全ての伝統がいつまでも変わらずに保持されるべきかと言えばそうではない。大事なのは形ではなく中身である。それかあるかどうかは別として、お盆という形の伝統が廃れても、代わりに別の先祖を思う気持ち、形があれば良いのはなかろうかと思う。

「皆一緒に」も然りである。これからの時代は個人の力が強くなる。そんな中で、いつまでも「皆一緒に」と言ってはいられない。各々がそれぞれ生きやすいように生きる。そういう社会になっていくことを願う。また、そういう社会を作っていくのが私達の世代なのだと思う。

せっかくのお盆である。今の日本社会を作った先祖達の霊に祈りを捧げつつ、新しい社会を作っていく為の決別をしてみてはどうだろうか。

どうでもいい

本日もまた茹だるような暑さで嫌になる。朝から通勤が嫌になればそれに伴って仕事も嫌になるというもの。いままでもこれからも、そうやって嫌だなぁと思いながら仕事をするのかもしれない。だがしかし、最近の私はそこまで仕事が嫌だなぁとは思っていない。

何故ならば、全てがどうでもいいという気持ちでいるからだ。

先日の事、私はいつもの通り、あれがやだなぁ、これが怖いなぁと沈鬱な気持ちを引きずりながら職場に向かっていた。しかし、職場に入る直前、私はふと「知るか、全部どうでもいいわ」と思った。すると不思議なことに、それまでの鉛のように重く、漆黒の様に暗い気持ちがまるでドライアイスの様に消え去っていったのだ。

私は驚いた。それはもう、それほどまでに晴れ渡った気持ちはここ最近では久しくなかった。なんと心が楽なことか。面倒なお客も、苦手な仕事もどうでも良い。それらが私の人生に及ぼす影響なんて知ったこっちゃない。それを失敗したところで、私の何が否定されるというのか。私にとって重要なのは早く帰って筋トレをして仏教の本を読んで、TOAST MASTERSに行って、妻と一緒に過ごすことなのだ。仕事なんておまけというか、お金の種でしかないのだ。そこに全てを捧げる必要がどこにあるというのか。

もはや一種の諦めである。私はこれを「肯定的どうでもいい」と名付けた。世の中の全てが私にとって関係あるなんてことはない。他人は他人で、私は私。その間には厳然たる壁が存在している。私の存在が他人に大きな影響を与えないのであれば、同じように他人も私に大きな影響を与えないのだ。だがそれを過剰に意識して、反応してしまうから、色々なことが気になって窮屈になる。そんなもんな無駄だ、幻想だ。全部クソ程どうでも良いのだ。大事なのは、自分にとって大事な物を大切にして、その他は捨てる事なのだ。

そう思ってから、私は仕事が嫌で無くなった。というより、自分の中に占める割合が減ったことで、気に病む事が無くなった。当然、それは今の私が責任がそこまで大きくなく、忙しくもなく、良い上司に支えられているからかもしれない。だけれども、基本的なスタンスとしてこの考えはあってしかるべきだと思うのだ。皆仕事を神聖視し過ぎである。大事なのは自分の人生を生きることであり、仕事はその一部でしかないのだ。

今日もまた、私は仕事へ向かう。だが、嫌な気持ちは抱えていない。気にしていない。今日もやることをやって早く帰ろう。何故ならば、仕事なんて、どうでも良いからだ。

筋トレとの出会い

久々の投稿である。今回は、私と筋トレの出会いを書こう。私の大好きな自分語りである。

私は元々非常に太っていた。中学二年生の頃、身長160cm位で体重は90kg近くあり、完全な肥満体型であった。運動はからきし駄目で、ゲームとおやつが何よりも好きであった。

そんな私は、一応合気道部に所属していた。肥満児とは言え、何かしらの部活動には所属しておきたかったのだ。とは言え、私の中学の合気道部は中々適当で、練習は基本的にしない。したとしても少しで、後は遊んでいるという感じであった。私以外にも、「運動部に入りたいけど運動は苦手…」という人が多く所属していた。そんな部活で、私は筋トレに出会った。

部活には、月に何回か大学生のコーチがやってきた。その人が筋トレ大好きな人で、その人が来ると必ず筋トレをした。内容は腕立て、腹筋、スクワットなど簡単なもの。当然、肥満児の私には非常に辛かった。腕立てなんて一回も出来ないし、腹筋も何も出来なかった。しかし、終わってみると謎の達成感というか充実感があった。恐らく、今まで自分がやってこなかった事に挑戦したことが嬉しかったのだろうし、何回かやっている内に回数がこなせるようになるという達成感があったのかもしれない。とにかく、私は筋トレに対して好印象を抱くようになった。

中学二年生の夏休み、私は自宅で筋トレをするようになった。部屋の窓を締め切り、熱気を篭もらせ、サウナ状態の部屋でひたすら筋トレをした。今やれば熱中症必至である。そんなトレーニングを二ヶ月やった結果、なんと10kgの減量に成功した。人生で初めて、体重が減った。その事実に衝撃を受けるとともに、運動の楽しさに目覚めた。

そこからは、ランニングを始めたり高校ではフィールドホッケー部に所属したりと、運動の量が増えていった。大学ではホッケーを辞めたため運動は出来なかったが、ほそぼそと筋トレは続けていた。社会人になっても同様で、筋トレだけは続けていた。最近は、ただ筋トレをするだけでなく、ランニングやストリートワークアウトに挑戦したりしている。そして、これからも続けるつもりである。

筋トレは、私の人生を変えたと言っても過言ではない。中学二年生のあの時、筋トレをしていなければ、そこで楽しさを見出していなければ、きっと私は今頃立派なメタボであっただろう。

だから筋トレには感謝なのである。今の私を作ってくれて。これからの趣味を教えてくれて。だから私は、今日も筋トレをするのだ。

筋トレのメリット/デメリット

筋トレは素晴らしい。私は心の底からそう思っている。我流であり、きちんと始めてからの期間はまだ短いものの、その効果を強く感じている。

一番のメリットは、自分に自身がつくということである。筋トレをすると当然筋肉を鍛える訳なので、身体付きが変わる。結果としての身体に対して自信を抱くことはもちろんだが、それまでの体型から引き締まった身体へと変わっていく過程を眺めていると、「自分やるじゃん」という自己有能感が増す。さらに、体内のアドレナリンやテストステロンが多く分泌されるので、生理的にもテンションが上がり、自信がつく。

また、日々の生活の中で筋トレの優先度が高くなると、極力飲み会や残業を減らそうとするようになる。やらなくて良いことはやらなくなり、自分の好きなことに集中する時間が増える。このことは、上述の自己有能感を増やすだけでなく、一人の時間を作ることによる思考、精神の整理を促し、日々の中にリズムをもたらす。自分の世界というか、自分だけのリズムを持つことは自分が自分を生きているという感覚を作り出し、精神を充足させていく。

上述の様に、筋トレをすると様々な理由から自分に自信がつくようになり、日々が充実するようになる。よく言われる様に、女性にモテるかと言われれば微妙だが、女性なんてどうでも良い。筋肉は決して裏切らないからだ。

反対に、大きなデメリットというものは無い。強いて挙げるならば、食事にお金がかかったり、そもそものトレーニング時間がかかったり、怪我のリスクがあること位である。だが、デメリットはいずれも回避、軽減可能で、逆にいかにデメリットを最小化していくかを考えるのが楽しかったりする。

総じて言うと、筋トレにはメリットしかないのである。なので、是非多くの方に筋トレをしてもらいたい。ジムなんかに行く必要はない。まずは自宅で十分である。畳一帖分のスペースさえあれば、自信を付けることができる。それは、何よりも替え難い、人生の支えとなる自信である。

ちなみに、私の様な素人ではなく、プロの方が筋トレの素晴らしさを語った本があるので、是非読んでみてほしい。一言で言えば、馬鹿である。(いい意味で)

 

筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法

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ミュージカル「beautiful」を観て

昨日は、現在帝国劇場で上演中のミュージカル「beautiful」を妻と観てきた。私達二人は普段ミュージカルなんて観ないのだが、今回は主演がダブルキャストで、水樹奈々平原綾香ということで観ようと思った。当然、水樹奈々の方である。

このミュージカル「beautiful」は、70年代アメリカで活躍したシンガーソングライター、キャロル・キングの半生を描いたもの。2013年にアメリカブロードウェイで上演されて大ヒットした作品が、日本版キャストで演じられているという訳だ。

帝国劇場 ミュージカル『ビューティフル』

今回、主演である水樹奈々はミュージカル初挑戦。本人はブログで緊張などを語っていたが、我々ファンも緊張である。娘のピアノの発表会を観に行く親の気持ちはこういうものかと思った。

そんな緊張を抱えながら観始めたのだが、いざ始まってみるととても心地良く観ることが出来た。お奈々の演技はとてもスムーズだし、周りの演者の方もとてもコミカルだったりパワフルだったりして面白かった。

劇の中では、キャロル・キングが作った曲や、当時の有名な曲が沢山歌われていた。正直、キャロルの存在も、有名な曲達も全然知らない私だが、だからこそ単純に良い曲だなぁと聴き入る事が出来たと思う。

話の内容は、前述の通り作曲家として活躍しながら、妻、母としても生きた彼女の波乱に満ちた半生。今でこそ女性の作曲家は珍しくないが、当時のアメリカではまだまだ珍しかったらしく、様々な苦労が垣間見れた。加えて、妻、母として夫を支えたりその関係で悩んだりする姿もあり、現代の働く女性に通ずる部分が多々あった。

総じて、笑いもあり、音楽も楽しめ、お奈々も観れ、という素晴らしいミュージカルだった。実は、チケットはファンクラブで取った為、後二公演分ある。流石に三回は多すぎかと思わなくもないが、また違う発見があるかもしれないので、是非行ってみようと思う。後、個人的にも舞台とかミュージカルに足を運んでみようかとも思った。