緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

文春の豆鉄砲

あまり多くの人に関わりの無いことであるが、昨日の夜、週刊文春LIVEにて声優の茅原実里さんの熱愛が報じられた。報道は事実であるらしく、その直後に茅原実里さんのブログでも本人が事実であることを認めた。

当初、本報道は私の大好きな水樹奈々さんの結婚かと思われており、多くの奈々ファンがその吉報を待ち望んでいた。私自身、お奈々のことであれば良いなぁと思いながら、一方でもしそうであるならば報道の前に公式で発表して欲しいと思いつつ、日々を過ごしていた。しかしながら、蓋を開けてみればお奈々ではなくみのりんであった。

声優といえば、もはやアイドル的存在である。声優になる為には、容姿端麗で歌とダンスが上手くなければならなくなってきた。報道をした文春としては、アイドル声優の熱愛発覚ということで多くのファンが発狂し、殺害予告が出たりなんだりして一騒動起きることを目論んでいたのかもしれない。だが、実際にはファンは発狂なんぞすることなく、「もういい歳だしおめでとう」と祝福をした。文春砲は不発に終わった訳である。私も、一声優ファンとして、ハルヒみなみけなど、様々な作品で活躍し、良い曲も沢山出している彼女に恋人がいるというのは喜ばしいことである。 

これはあくまで私の推測でしかないのであるが、私は文春のこの一騒動、起こしてやろうという姿勢が大嫌いである。人の結婚だとか不倫だとか、誰それが不仲だとかなんだとか、それは本人の自由である。それが仕事に影響を及ぼしたり、事務所を解雇されたりするようなことで、多くの人に本当に迷惑をかける行為でない限り、本来私達にはどうでも良いことなのだ。

昔、ゲスの極み乙女の川谷とベッキーの不倫が報じられた際、ゲスの音楽に対する評価が掌を返したように変わったことについて、誰かが秀逸なコメントを残していた。

「それって、例えば美味しい寿司屋があったとして、今までは美味しい美味しいって言って食べていたのに、対象が不倫していることがバレたら、『不倫している人が握った寿司なんて食べたくない』って言っている様なものだよね。大将が不倫していようが何していようが、寿司の味は変わらないし、寿司に罪はないよね。」

言い得て妙である。私達は、どうやらそういったどうでも良いことに過敏に反応するらしい。どの国でも時代でも、ゴシップネタというものは需要があり、多くの人を引きつけているしかし、そういった本来私達の生活においてどうでも良いものに引っ張られ続けるのは疲れる。自分の人生だけで精一杯で、日々イライラすることや大変なこともあるというのに、直接的に関係の無い人のあれやこれやまで背負わなければならないというのか。

どうでも良いものどうでも良いと割り切り、自分の手を放す。それが出来たならば、些細な事にも目くじら立てることなく、なんなら誰かを祝福することも出来るかもしれない。

とりあえず、みのりんおめでとう。

飲まず喋らず何もせず

本日は会社の飲み会であった。なかなか久々の部全体の飲み会ということで、約20人程の大所帯であった。元々私は飲み会の席に行く予定ではなかったのだがなんだかふと行きたくなったので行ってみた。別にどうということはない、ただの気まぐれだ。

飲み会の席、私は酒を飲まず、特別に喋りもせず、何もしなかった。なんだか最近は酒を飲むのが疲れるのである。酒を飲み、大きな声で自らの事を話し、相手の話を聞き、会話を途切れないように気を配る。そんなあれやこれやがとても疲れるのである。いや、そんな難しいことを考えずに楽しく飲めば良いではないかと言われそうだが、そうもいかない。楽しく飲めば酒に飲まれ、家に帰るのは遅くなり、釣られて睡眠時間が短くなり、翌日はそのツケを日中の眠気とダルさという形で背負わなければならない。そんな面倒な事をする気には何故だかとても思えなかったのだ。

部の中では私はまだ若い部類のど真ん中に位置する位の年齢なので、世間一般に見れば常識外れの行動なのかもしれない。飲みの席を盛り上げてこその新人だと、勝手な価値観を押し付ける人もいるであろう。だがしかし、いかんせんどうにもやる気が出ないのだから仕方がない。酒を飲まねば楽しくはない。楽しくなければわざわざ大きな声を出すこともあるまい。ということで、飲まず、喋らず、何もせずな私が出来がったのである。

ならば飲み会自体がつまらなかったかと言われればそうではない。酒を飲みながら熱く仕事の話をしたり、面白おかしくちょっとした自慢話をする上司や先輩方を眺めるのはなかなか面白かった。皆楽しそうで何よりであった。そうやって眺めている内に、私は段々と眠くなった。何もせずに眠気に耐えることを潔しとしない私は、堪らず会の途中で席を立った。

そうして私は帰りの電車の中でこの記事を書いている。まだ帰路も半ば、是非とも座ってゆっくりとしたいものである。しかしながら、こんな時間でも山手線は大勢の人で賑わい、座る場所なんてありもしない。仕方ない、家に帰ってからゆっくりしよう。そう私は諦めた。

夏、魅力的なもの

読者諸氏、おはようございます。

昨日ついに関東地方は梅雨明けが発表された。今年の梅雨は少雨で、どうにも梅雨らしくはなく、いつの間にやら梅雨が明けたのかと思っていたが、これでようやく夏本番という様相である。

さて、皆様は夏が好きだろうか。暑いから嫌い、遊べるから好き。あるいは、暑いのは嫌いだが遊べるのは好きなど、その印象は人それぞれであると思う。ちなみに、私は夏大好きだ。それは、夏はエネルギーが満ち溢れた魅力的な季節だからだ。

夏は日差しが強い。太陽光とは、地球に太鼓の昔から降り注ぐ万物のエネルギー源である。それが物理的に多い季節が夏である。降り注ぐエネルギーが多ければ、当然それを受ける対象もエネルギーに満ち溢れ、活動的になる。真っ青な空とそこに浮かぶくっきりとした白い雲の下、草木は青々と茂り、セミ達は五月蝿い程の声で鳴き、子供たちは真っ黒になりながら走り回り、大人達はフェスだなんだと騒ぎ立てる。まるでそうしなければ死んでしまうかのように、日夜エネルギーを消費させる。このエネルギーに満ち満ちた感じが夏の唯一無二の良さである。

さらに言えば、夕方、あるいは晩夏、このエネルギーが徐々に消失していく名残惜しさというのもまた夏の魅力である。沈みゆく夕日に、消えていくセミの声に、消失していくエネルギーの残滓が溶け込み、まだ消えたくないと叫ぶ声が聞こえる気がする。そんな寂しさもまた、夏を引き立てる一つの要素である。

夏とは魅力的なのだ。エネルギーに満ち溢れた生の季節だからこそ持ち得るこの魅力こそ、私が毎年待ち望むものなのだ。

そんな事を、近所の河川敷で空を見上げながら再確認した。日々仕事をしていると、クーラーが効いた寧ろ寒い位のオフィスの中で一日の大半を過ごすため、夏を感じることが少ない。しかし、本来はそれが異常なのだ。夏は暑いもの。だからこそある魅力がある。さんな小さな魅力に気付くことこそ、季節感を忘れず、日々を少しだけ彩る事に繋がると思うのだ。

整理をしよう

読者諸氏、おはようございます。

東京は本日も相変わらずクソ暑い。私は夏が好きなのだが、いかんせんこの湿気はいただけない。湿気さえなければ夏は生命エネルギーに満ち溢れた素晴らしい季節となろうものを。

さて、復帰していきなり書く話題でも無いのだが、ここ最近は仕事に行きたくない熱が半端ない。毎朝吐き気と頭痛に苛まれている。昨日は三連休明けという事も相まって昼過ぎに早退してカウンセリングへ行った。もはや、耐えられなかったのである。

仕事が好きで好きで堪らない人というのは恐らくそうそうはおらず、大半の人は嫌だなぁと思いつつも日々仕方なく仕事に邁進するのが世の常であると思う。しかしながら、それでも大半の人は仕事を頑張るのだ。家族の為、自分の為、理由は異なれど、頑張って働いて日々を過ごすのだ。人はそれを社畜だなんだと揶揄するが、長時間労働の是非は置いておいて、嫌々ながらも何かの為に頑張れるということは、それだけで凄いことだと思う。(良いか悪いかは人に依る)

翻って私はどうかと思うと、吐き気がしたくらいで会社を休みたくなる位の雑魚である。頑張ることも出来ずに甘えるクズである。そんな事はとっくの昔から嫌というほど分かっていて、それでも自分を変えられなくてやっぱり仕事が嫌で、そんな私でも一緒にいてくれる妻がいて、だからこそ自分がより一層嫌なのだ。

そんな事をカウンセリングで話すと、やはり原因は私の就活期にあるのではなかろうかという話になった。就活期の話はまた別途書くこととして、端的に言うと、自分の意志がないのである。人から与えられた問題や何かに対する対応、レスポンスは優れているが、自分の意志で何かをしたい、選択をするということが欠落している。そして、今の仕事は内容も経緯もまさに他人の意志なのだ。故に前に進みたいという欲求、エネルギーがないのだと。

まさにその通りである。私はカウンセラーを信頼はしているが言われたことを鵜呑みにする気はない。だがしかし、私がもやっと思っていたことを見事に言語化してくれたため、まさにその通りと思ったのだ。

ということで、少し時間をかけて私は何が好きで何をしたいと思うのかを明確にしようということになった。それは自分を整理する作業であり、それが出来れば人生における物事の優先順位がつけられる。そして、それをベースに転職活動や、その後のキャリア形成を行うことが出来るのだ。

そんな訳で、私の整理が始まった。一つ目の区切りは10月。それまでに何かしら自分の好きなこと、大事にしたいことを整理する。

そんな事を思っていれば、相変わらず吐き気はあれども、会社に行くのが少しだけ楽になった。

復帰

いきなりだが、ブログを復帰することにした。

復帰と言ったところで読んでくれている人の数なんてたかが知れていて、私の書いたものがどれだけの影響を及ぼすなんかは知りもしないが、そんなもん知るか。

 

ブログを書くのを止めてから一か月弱。私の中に溜まったモヤモヤしたものを吐き出すためにもう一度書くことをしてみようと思うのだ。

 

今回は、明確に以下を意識して書いていく。

1:アクセス数は気にしない。

どうせブログでお金稼ぎなんてする気ないのだ。数字上の自己承認欲求とそれに伴う自己嫌悪の危険性に晒されるくらいなら、最初から意識なんてしない方が良い。

 

2:良い子ちゃんにならない

今までポジティブに生きようとか毎日頑張ろう的なことを書いてきた。よくよく考えればそんなの私のキャラじゃない。後ろ向きに人生を前に進む。そうやってかろうじて生きている位が私の生き方だと思う。それが良いか悪いかは知らないが、そうだと思う。なので、私が私として思うように好きなことを書く。有益妥当と無益だろうと知ったことか。そんなもん読んだ側で判断してくれ。

 

3:毎日更新することに拘泥しない

前回はひたすら毎日記事を書くことにこだわった。その結果としてなにがしかを得ることは出来たような出来ていないような気がするが、今回はそこにこだわらない。書きたい時に書き、書きたくない時には書かない。

 

4:SNS連携をしない

今まではブログを更新する度にFacebookTwitterに情報を連携していたのだが、それを止める。よくよく考えてみると限定しているとは言えFacebookには会社の人間がいるし、Twitterには友人もいる。この記事を楽しみにしている人もいるかもしれないが、逆に私が自由に書けなくなるということもある。好き勝手自由に書くために、あえてコミュニティを限定する。

 

ブログを書く目的なんぞ知るか。やってみようと思ったからやっているのだ。クソみたいな毎日の中で、ただ一つ自分として何か声をあげられる場所があるとすれば、ここなのだ。でなければ、日々の中で抑圧されて沈殿していく自らの声を救い上げる機会がないではないか。

私は私の為に書く。それ以上でも、それ以下でもない。ただ、それだけの話だ。

 

ありがとうございました

ここ二三週間は忙しさと面倒臭さで精神的に摩耗され続けておりました。

久々に死にたいと思ったりもう仕事辞めたいと思ったりと色々あったのですが、無事に生きていますし仕事も続けております。

 

私みたいにちっぽけな存在がいくら悩んだところで時間というものは平等に過ぎ去って行く訳で、気付いたらさりげなくブログを初めてから一年が経っていました。

 

この一年、毎日ブログを更新することを目指してきました。

個人的感覚では出来ているはずなのですが、どうやらどっかで一日漏れがあった様で、連続記録365超とはなっていません。

が、そこはご愛敬。一年間毎日更新してきました。

 

ブログを開始したきっかけは、休職を通じて自分が今まで溜め込んできていたものを外に出すためでした。

普段私が感じていること、考えていることを外に出すことで、自分の中で溜め込まず、自分を客観的に見る。

途中から思想の世界に傾いたり、最後の方は愚痴だらけになりましたが、概ねその目的は果たせたのではないかと思います。

 

一年間続けてみて思ったことが幾つかあります。

一番は、毎日続けるのはエネルギーがいるということ。

どれだけ疲れていても、面倒臭くても、毎日何かしらのアウトプットをするというのは結構なエネルギーがいりました。

そんな中、頑張る後押しとなったのは、読んでくださっている皆様の「読んでくれているよ」というお知らせでした。

はてなブログのスターだったり、Facebookのいいねだったり、読んでくれている皆様が発信する「読んでいるよ」というお知らせが、エネルギーも使って何を書いて良いか分からない状況でも非常に力になりました。

皆様のお陰で一年間頑張れたと言っても過言ではありません。

 

他にも、自分が面白いと思うことと読む人が面白いと思うことは異なるということや、結局自分の言いたいことって一つなんだとか、書いている内に考え方の方向が固まってきてしまうこととか色々あるのですが、面倒臭いので割愛します。

 

さて、一年間続けてきて、自分の中で一つの区切りが付きました。

私がこのブログを更新しようがしまいが、世界にとってはどうでも良くて、それで何かが変わるわけでもない。

誰かの人生を大きく変えることなんてない。

はてなのサーバーがぶっ壊れれば消える儚い存在でしかない。

それでも、この一年間に私が書き積み上げてきた記事達には意味があります。

そしてその意味は、私にとり何か重要なものであるはずなのです。

だから私は、今一度このブログが自分にとって持つ意味を考えなければならないのです。

 

ということで、もはや日常のルーティーンに組み込まれたこのブログですが、ここで一度小休止を入れようと思います。

具体的には、今日からしばらく記事を書きません。

これから何をどう書くのかを少し考えます。

 

皆様一年間どうもありがとうございました。

ごめんなさい

最近はどうにも疲れ続けています。

加えて、得も言われぬ不快感というか不安感があって毎日気付いたら泣きそうです。

仕事が出来ない自分が嫌とか、周りで活躍する人が嫌とか、面倒臭いお客さんと話すこととか、何をやっても上手くいかない自分とか、それでも肯定的に捉えようとする自分とか、それを否定しようとする自分とかがごちゃごちゃしていていっぱいいっぱいです。

 

楽に生きる鍵は自分にしかないというのは分かっていますが、それをしないのも自分なのも分かっています。

分かりすぎていて分からない。

 

少し、休みたい。