緩くいこうぜ、人生長いんだ。

世の中どうでも良いことばかりだよ

何か、武器を

翻訳の勉強をしている。それに伴い、英語の勉強もしている。語彙力は弱いが、恐らく大半の日本人よりは英語の読み書きに長けているように思う。まだまだ勉強中の身ではあるが、ある程度は役に立つスキル、つまり武器だ。

しかしながら、それだけではこれからの時代生き残れない。日本はこのままいけば衰退するだけだし、英語は機械翻訳の精度がどんどん高まってくる。「英語が話せます、書けます」だけでは、これから先生きていくことは難しい。

そんな中で必要になるのは武器の数だ。自分の中に複数の武器を持っておいて、それらを使い分けて、あるいは組み合わせて使うことが必要になる。そうでなければ、単一の道を突き進んだところでいずれ壁にぶち当たるだけだ。職人的な生き方は、きっとこの先相当ニッチな領域以外では意味がなくなる。だから、必要なのは、考えるべきは、どのような武器を、どれだけ持っていられるかだ。

語学ならば英語以外の言語、例えばスペイン語とか中国語。あるいはプログラミングや専門知識。ビジネスや社会活動の経験。あるいは、思いもよらないこと、例えば趣味とか。とにかく、自分の中に、人に言えるだけ、自分はこれができるぞ、と言えるだけの武器を持っておかなくてはならない。

私にとっては、今は英語だけ。筋トレの知識もそのレベルまで上げていきたいけれども、これは時間がかかる。プログラミングは、もう何度も止めてきた。だから、武器を探さなくてはならない。

「まだ若いんだから」と良く言われるが、若いからこそだ。若いからこそ、自分の時間を作りやすく、吸収もしやすい。少しずつで良い。何か、武器を。

筋トレ

最近は、朝筋トレをする為に早起きしている。具体的に言うと、5:45に起きて45分勉強して、30分筋トレという流れである。夜帰ってから焦って筋トレをしなくて良いし、一日の時間を有効活用できるので良いのだが、問題はメニューである。

基本的に自重トレーニングなので、そこまでの負荷はない。しかし、30分という短い時間の中できちんとオールアウトさせるためには部位別にならざるを得ない。そうなると、一週間で各部位を細かく分けることになる。となると、どんな順番で、どんなメニューを組み込むべきなのかが分からなくなる。という風に、最近はトレーニングメニューを色々と工夫している。

自重トレーニングの良いところは、何よりも無料で自由な点であるが、逆に言えば専門的な知識がないので、何が正しいのか分からない。知り合いに聞いたところ、ジムではなく、パーソナルトレーニングを行っている人もいるそうなので、アドバイスをもらいに行ってみようかなんて思ったりしている。

何故筋トレをしているかと言えば、好きだからである。別にモテたいとかいう目的はなく、ただ筋トレが楽しくて、やっているとストレス発散になるからである。だからこそ、メニューを考えるなんて面倒なことにも、きちんと向き合っていられるのだと思う。好きこそものの上手なれとはよく言ったものである。これからも、筋トレを好きでいて、楽しみながら続けていきたいものである。

齢26

私事であるが、本日誕生日を迎え、26歳となった。よくもまあ26年間も生きてきたものである。

26歳といえば、世間では良い大人である。仕事はある程度でき、責任の思い仕事にもチャレンジして成長していくというのが大体のイメージか。さらに、今年で一応主任という立場になるそうである。主任といえば、「主に任せる」ということで、ある程度の範囲を自らの責任で回す必要がある。「26歳主任」ともなれば、それはそれは仕事をガンガン進めていく立場にあるように思える。

問題なのは、本人がそれを望んでいないということである。正直に言って、現在の仕事で責任が増えることなど望んでいない。客との折衝、パートナーの管理などなど、私が苦手とする仕事しかない。それらに関する責任が増えたところで、精神的な負荷が増すだけである。

ならばどんな仕事ができるのかと聞かれれば、それはそれで答えられないのだが、だからこそ現状から脱するために勉強しているのである。ずっと同じ場所に留まり、気付けば苦手な仕事に囲まれているというのだけは勘弁である。

後ろ向きな話になってしまったが、26歳の今年、どうにか現状を打破できるよう、ちもちも努力をしていこうと思うのだ。

良いスタート

本日でありがたい三が日が終わってしまう。テレビを観たりゲームをしたりしたものの、基本的にはずっと英文法の勉強と翻訳の課題と向き合っていたので、もう少し何かに追われずにお休みをしたい気で満々である。明日から二日間行けばまた休みだから良いのだが、その休みも勉強するのでなんとも言えない。

年始といえば、初詣である。年末に除夜の鐘を打ち、そこで払ったはずの煩悩を年明け早々お願いしに行くのだから、日本人は面白い。まさに神仏習合

川崎に住んでいるので、初詣は川崎大師が有名だが、あそこは人が多すぎていけない。ただでさえ人が多いのに、集まっているのが川崎の住人だからより一層いけない。ヤンキーとDQNの巣窟に、進んで足を踏み入れる勇気は残念ながらない。

ということで、昨年と同じく家の近くの神社に参ってきた。こじんまりとした神社であるが、それはそれで落ち着いていて良いものである。毎度おなじみのおみくじを引いてみたところ、結果は「吉」であった。曰く、大吉の一つ下であるそうだ。願わくば大好きな博多華丸・「大吉」であって欲しかった。

内容を見ると、要約すれば「努力すれば道は開けるぞ」ということであった。世の中、努力が必ずしも報われるかと言えばそうではないのだが、翻訳の勉強や筋トレをしている身としてはその言葉には何か希望めいたものを感じた。

そういえば、今朝方見たインターネットのサイトで、よくある「沢山の文字の中から最初に見つけた文字があなたが求めるものです」みたいなものをやってみた。結果は、確か「刺激・未知・XX」であった。XXの部分は忘れた。おみくじの結果と合わせて考えると、いよいよ私の努力が報われ、新しい道への第一歩を踏み出すことになるのやもしれぬ。SIerなんざ早く辞めたい身としては、是非ともそのような結果になってほしいものである。だが、そのためには努力が欠かせない。成功するために必要なのは、人が休んでいる間にも休まずに努力を続けることだそうだ。その意味で、私は多くの人よりも良いスタートを切れているのかもしれない。だが、そのために三が日が勉強だらけだったのはいささか悲しかったりもする。うまいことバランスを取れないものだろうか。

おみくじにあるように、今年一年が転機となるよう、無理のない程度に努力を積み、新たな道を切り開きたいものである。

本当に気持ちが悪い

年明けそうそうあまり明るい話題ではないのだが、ネットは本当に気持ちが悪いなと思う。

昨年末の紅白歌合戦の中で、欅坂46のメンバー3人が過呼吸で倒れた。一応欅は好きで見ている私にとっては衝撃で、もういい加減休ませてあげなよという感じである。一方で、ネットではやれ「プロ意識がない」とか「仕事なのだからしっかりしろ」だとか、彼女たちを批判する声が多い。これが本当に気持ち悪い。これは例えて言うならば、長時間労働をして倒れた人に対して同じことを言っているようなものである。そんなことが言えるだろうか。もちろん、最低限の体調管理は必要である。しかし、それだけではどうにもならない部分も多々ある。彼女たちだけの責任ではなく、彼女たちを管理する運営側の責任でもあるのだ。だから、倒れたことを全て彼女たちのせいにするのは全くおかしなことである。

欅坂は、昨年デビューしていきなり紅白に出たり、センターの平手の体調が良くなかったりで色々と人の目について叩かれやすい状況にある。だから、そのようなアンチの発言が多く出るのは仕方がない。しかし、それが何を生むのであろうか。いらぬことに気をかけて、それをネットで撒き散らして、自分は気分がいいかもしれないが、それで傷つく誰かもいるのだ。今回であれば、きっとそれは彼女たち自身だ。

倒れた人がいるならば、「それ見ろ」ではなく「大丈夫?」と声をかけるべきではなかろうか。あるいは、どうでもいいならば無視すれば良い。嫌いなものにかける時間とエネルギーほど、無駄なものはないのだから。私自身、そんなネットの戯言は無視するべきだと思う。だが、ネットを開けばそのような意見が横行しているのが否が応でも目に入ってしまうのが現状である。だから、ネットは極力見ないようにしようと思う。情報を切り捨てる能力も、これからの社会で必要なスキルの一つだと思う。

欅坂は、1月末に武道館公演があるそうであるが、正直運営は何を考えているんだという感じである。しっかりと休んで、十分に準備をしてほしいと思う。そして、今回の件でまた多くのネガティブな意見に晒されていると思うが、どうか無視して頑張ってほしい。

2018年

今週のお題「2018年の抱負」

 

みなさま、あけましておめでとうございます。

2018年、最初に口にしたものはプロテインとバナナ。初日の出を見つつ筋トレし、そのあとにゆで卵を食べた。全く正月らしくない始まりであるが、それで良いのだ。

昨日大晦日は、日中はひたすら英文法と向き合い、紅白は欅坂46を観てハラハラしていた。「不協和音」は良い曲なのだがメンバーの消耗が激しくて良くない。運営はいい加減みんなをしっかりと休ませてほしい。

さて、2018年となったので、ここでいきなり個人的な目標を立てようと思う。目標を立てる際に重要なことは、①具体的であること、②期限が切られていること、数値化されていることとどこかに書いてあった。でも、書いていなかったかもしれない。いずれにせよ、上記に気をつければただの「願望」ではなくきちんとした目標になるのではないかと思う。ということで、以下が私の今年の目標である。

  1. ブログで一日一記事を再開し、継続する。
  2. 年間で60万円貯める。
  3. ボルダリングで5級をコンスタントに登れるようになる。
  4. 翻訳スクールで本科に進み、本科も卒業する。

書き出してみるとなんだかしょぼい目標だが、目標なんて個人的なものなので、その辺は気にしない。

1は、昨年の夏頃まで実施していた、一日一記事の再開である。TOAST MASTERSのスピーチのネタ作りにあった方が良いというのと、やはり日々アウトプットがないと内面が詰まってしまうような気がするからである。

2は、単純に家計のため。

3は、趣味であるボルダリングのレベルアップのため。これまでのように自由に登ればクリアできるというレベルではないので、しっかりとムーブを習得しつつ登れるようになりたい。

4は、将来のため。現在は翻訳の基礎を学んでおり、本科に進めば翻訳業務で仕事をもらうことができるチャンスができる。そこまでに年内で到達し、あわよくば会社を辞めるのが目標である。やはりSEは今後も続けることはできないと思う。

ということで、本日の記事が2018年最初の記事である。これから365日、どのようなことが待っているのだろうか。今年も一年、緩く頑張っていきたい。

どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

年の瀬

年の瀬である。来週の今頃には私は仕事を無事に納め、明日から少しの間どうやって過ごそうかとわくわくしていることであろう。

年末年始は何かと忙しいものであるが、私は翻訳の勉強をしっかりとしたい。ついでに株の勉強もしたい。後、ボルダリングもしたいし筋トレは継続したい。つまり、いつも通りである。

最近は、毎朝6時に起きて筋トレをするという生活をしている。家に帰ってから焦って筋トレをする必要はなくなったものの、朝から身体を動かすと疲れるもので、とにかく夕方辺りからなかなか強大な眠気が襲ってくる。襲ってくるものに立ち向かうのは私の主義ではない。おとなしくやられるのだ。

2017年は色々なことがあったように思う。いや、多分、何もない年なんてものはなくて、毎年毎年、今年も色々あったなぁなんて振り返ることを繰り返しているだけである。毎年この季節になると、Facebookなどで知り合いが「今年の振り返り」なんてものをやるものである。手前の今年なんぞ知るものかと思う以外なく、そもそもFacebookなんて最近は滅多に開かないので構いやしないのだが、どうにもウザったくて仕方がない。そんなに人に自分の事を知ってほしいのだろうか。

SNSで人と人が繋がるようになって久しいが、繋がり続けることにも害はある。とある研究によると、SNSで他人の投稿を頻繁に見る人の方が幸福度が低いようである。それはそうだ。常に他人と自分を比べている訳であるから。

2017年は、他人と比べる事を止めた年であるように思う。これまでは何かと自分と他人、それも具体的な他人ではなく、自分が勝手に描いた理想像であるが、を比べて、全く自分はダメなやつだと落ち込む日々であった。しかしながら、今年はそんな事が減ったように思う。なんというか、楽になったというか、強くなったように思う。もちろん、全部が全部解消したわけではなく、相変わらず比べては落ち込んだりイライラしたりを繰り返してはいるものの、その頻度は減ったようである。そんな意味で、今年はなかなか進歩の年であった。

さて、自分で嫌いだと言ったそばから今年の振り返りを書いてしまった。なんということか、私は馬鹿か。まぁ、自分が嫌いなものほど、自分がやっているというのはよくある話である。自分がよくやるからこそ、それが嫌で、他人がやっているのが嫌になる。つまり、自分が嫌いなのかもしれない。そう考えると、やっぱり私は、自分が嫌いなのかもしれない。