緩くいこうぜ、人生長いんだ。

世の中どうでも良いことばかりだよ

この世の全てに謝りたい

私は時々、この世の全てに謝りたくなる時がある。

謝る対象はなんでもいい。

家族でも、友人でも、道行くサラリーマンでも、草むらのアリでもなんでもいい。

とにかく、ただひたすらに「ごめんなさい。」と心の底から謝りたくなる時がある。

謝る理由は特にない。

もちろん、原因はあるのだが、謝るという行為に対する理由は特にない。

ただひたすらに謝りたくなるのだ。

 

謝るという行為は許しの行為だ。

それまでの過ちを水に流してもらうということ。

マイナスをゼロと認めてもらうこと。

何かのきっかけで、それまでの自分の行動を客観的に見られるようになり、それがいかに沢山の人に迷惑をかけたり、取り返しのつかないことであったかを自覚したとき、初めて自身がマイナスの位置にいることに気付く。

その時、何とかそのマイナスをゼロにしたいと思うために、謝りたくなるのだろう。

自分ではない誰かに自分をゼロにしてほしいと願うのだろう。

 

誰に謝ったって何も解決しない。

それは分かっている。

でも、たった一人でも誰かが「それでも良いよ」と言ってくれると、泣きたくなるほど嬉しくなる。

 

一番最近それを経験したのは、就職活動の時だった。

私は斜に構えた大学生で、大手企業に入る奴は馬鹿だ位に思っていた。

自分の力で食っていく力を付けたいと自分を過信した私は、ベンチャー企業ばかり受けていた。

運良く2月頃に内定をもらうことが出来た。

そこで具体的にどのような仕事をしたいかというのはあまり深く考えず、ただベンチャーだからという理由と、面接でお世話になった社員の方の考え方に共感し、一緒に働きたいと思ったからそこに決めた。

その時点で就職活動を止め、アルバイトに精を出した。

しかし、4月に入ってすぐに、父親から呼び出しを喰らった。

それまで父親は私の就職活動に関しては何も言ってこなかったが、4月になって流石に気になったらしく、当時よく就職活動の動向を話していた母親に経緯を聞いたようだ。

そうして、私はこっぴどく怒鳴られた。

 

ベンチャーなんてすぐに潰れてろくなことにならない。」

「お前が今まで良い暮らしが出来たのは何故だ?俺が大手に努めてきたからだ。」

などなど。

 

今考えると、子供の意志を全く持って尊重していない主張だが、当時の私は反論が出来なかった。

確かに具体的にこれをやりたいという強い想いはなかった。

反論を跳ね飛ばしても働きたいという強い意志はなかった。

何よりも堪えたのは、次のような言葉だった。

 

「お前はろくに企業研究やOB訪問もしないで、就職活動の苦労をしたくなかったんだろう。だからベンチャーなんて楽な道に進んだんだろう。」

 

何も反論が出来なかった。

私はその時、自分が取り返しのつかないことをしたことに気が付いた。

そんなこんなで色々あり、私は4月から、大半の大手企業の選考が終了した4月から、就職活動を再開した。

 

それからの日々、私はこの世の全てに謝りたいと思い続けた。

道行く就活生に「今まで斜に構えていてごめんなさい」と言いたい。

友人に「今まで偉そうにESの添削とかしてごめんなさい」と言いたい。

両親に「生まれてきてごめんなさい」と言いたい。

そんなことを思って日々を過ごしていた。

 

結果、何とか無事に就職活動を終えることが出来た。

流石にその時の申し訳なさは今ではほとんど引きずっていないが、たまに頭をもたげる時がある。

 

「謝って済むなら警察はいらない」とはよく言ったものだと思う。

謝るだけでは何も解決しないから困るのだ。

困るから、前に進まないといけないのだ。

申し訳なさを引きずって、前に進まないといけないのだ。

どんなに申し訳ないと思ったって、私は生きているのだから。