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緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

思いと想い

「思い」と「想い」という漢字は、同じように「おもい」と発音し、意味も大体同じように思える。

しかし、その意味は明確に異なるし、非常に重要な事を示唆しているように思う。

 

個人的な解釈は以下の通りだ。

 

「思い」は頭で考えた論理的なこと。

「想い」は心で感じた感覚的なこと。

 

 

例えば、論理的な説明で構成されている論文などでは、

「○○であると思う。」とは書くが、

「○○であると想う。」とは決して書かない。

何なら、「○○であると思う。」は「○○であると考える。」と代替可能だ。

 

 

このような違いがあると思って日々の生活を振返ってみると、なんとなく「思い」は多いが「想い」が少ないのではないかと思う。

 

日々生活をしていると、他者とのコミュニケーションが求められる。

コミュニケーションの基本は、自分が考えていることを相手に正しく伝えることだ。

そこでは、「想い」ではなく「思い」が求められる。

なぜならば、「想い」は感じた人本人にしか分からないとても閉じたものだからだ。

自分が考えたこと、感じたことをきちんと相手に伝えるためには「想い」を「思い」に落とし込む必要があるのだ。

しかし、そのように「思い」の比重が多い生活をしていると、徐々に「想い」の存在が薄れてしまう。

 

「想い」は、個人が物事に対してどのようにリアクションするかという非常にパーソナルなものだ。

その人だけにしかない、誰にも侵されない聖域だ。

それが薄れてしまうと、自己が薄れ、自分を見失ってしまう。

 

 

現代は、「想い」よりも「思い」の方が重視される世の中だ。

意識しないでいると簡単に「想い」は薄れてしまう。

その結果が、鬱病患者の増加や、生きがいのない世の中なのではないかと思う。

 

一度きりの人生、自分だけの人生を大切にするためにも、日常の中の小さな「想い」を大切にして日々を過ごしたい。