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緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

人を助けるということ

西尾維新の小説「化物語」に以下のようなやり取りがある。

「助けてくれるんですか」
「助ける?そりゃ無理だ。君が勝手に一人で助かるだけだよ、お嬢ちゃん」

 怪異に取りつかれた女子高生、戦場ヶ原ひたぎが怪異の専門家、忍野メメに助けを求めた際のやり取りだ。

 

私はこのやり取りでの忍野のセリフが大好きだ。

「助ける」ということを否定し、「君が勝手に助かるだけ」だと言う。

なんとも西尾維新らしいひねくれたセリフだ。

 

このセリフの解釈は人により様々だ。

私なりの解釈は以下だ。

 

「人は、誰かに対して何かをすることは出来るが、その結果を相手がどう捉えるかは相手の責任でしかない。」

 

忍野は、怪異の専門家として戦場ヶ原に憑りついた怪異を払うことが出来る。

しかし、その結果戦場ヶ原がどう思うかは戦場ヶ原の責任であり、忍野の関する所ではない。

 

「助かる」という言葉が行為よりも感情に依拠していると考えると、

ある行為の結果、ある人が「助かった」かどうかは、行為を受けた本人にしか分からないということになる。

その人が「私は助かった」と思わない限り、その人が「助かる」ことはない。

 

行為を行った人は、あくまでその行為をしただけであり、相手を「助けた」ということでは決してない。

もしもそれを「助けた」と呼べば、それは相手に対して「助かった」という感情を強要したことになる。

 

 

自分で書いていてなんとも面倒くさいと思ったが、これは「善とは何か」という問いにも発展すると思う。

私達は普段「善行=相手の助けになること」と認識し、行動しているが、相手が本当に「助かって」いるかは分からない。

それが分からない以上、普段私達が行っている善行は、もしかしたらただの善意の押し売りなのかもしれない。

 

世界を疑いの目で見れば、際限なく疑うことが出来る。

しかし、それだとなんとも生きにくくなってしまう。

だからこそ、人は枠組みとして宗教や社会常識を生んだのだろう。

でも、たまにはそんな枠を取っ払ってみると、面白い発見や、新しい考えに出会うことが出来る。

何気ない会話の中でそれを実現した西尾維新は、面白い作家だなと思う。