緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

空港に行きたい。

しかし、その為には人一人が通れる位の老朽化した吊橋を渡るしかない。

下には荒れる海が待っており、強風に煽られて今にも壊れそう。

私は意を決して吊橋に挑む。

途中、先を行く何人かが海に落ちる中、私は何度もどうにか空港にたどり着くことが出来る。

そこには、何故か空港ではなく修学旅行生が沢山いるホテルがあったのだ。

さて、温泉に入ろう。

 

というのが今日の夢でした。

 

 

夢というのは不思議なものです。

現実にはあり得ないことが普通に起こるし、それに対して違和感を抱くことはない。

変な事が起きても、変な人が変な事をしていても受け止めることが出来る。

で、夢から醒めた後に「なんじゃありゃ」と気が付く。

 

科学的に言えば、夢というのは、眠っている間でも覚醒している脳が、経験や知識を振り返ることにより見るものだそうですね。

なので、その人の身体的、精神的なコンディションが内容に影響を及ぼします。

私の場合、夢を見て現実で号泣している場合、身体的にとても疲れているということが多いです。

後、ゾンビとか虫とか不愉快なものが出てくる場合は、相当的に精神的に参ってますね。

こういうコンディションと内容との結び付きがあるから、夢診断が出来る訳ですね。

 

 

ところで、私達は、普通に「夢を見る」と言いますが、ここで言う「見る」は「目が通した情報を、脳が知覚、認識すること」という意味ではないですよね。

「目を通して」いないので、ここで言う「見る」とは、「脳が創り出した情報を、脳が知覚、認識すること」となります。

つまり、実は私達が普段使っている「見る」という行為の本質は「脳が情報を知覚、認識すること」ということです。

 

そうすると、目なんていてもいなくても良いということが分かります。

情報を脳に直接ぶち込めば、目がなくても「見え」る訳ですから。

そんな技術が発展すれば、認識の中だけで見れる映画とか、経験の共有とか、色々と出来そうですね。

なんだかドラえもんみたいな話です。

 

 

夢というのはまだその原理などが解明され切ってないみたいですね。

近いのに遠い、謎に包まれた存在。

映画「マトリックス」では、起きている世界が虚構で、夢の世界が現実でした。

この先、夢の研究が進めば、もしかしたら、そんな「マトリックス」みたいなことが、真実として浮かび上がるかもしれませんね。

そんな虚構を夢見て、今日も現実を生きるのです。