緩くいこうぜ、人生長いんだ。

世の中どうでも良いことばかりだよ

書き手の自由と読み手の自由

この前他の人の記事を読んでいて、自分が結構記事を読み飛ばしながら読んでいることに気が付きました。

 

 

面倒臭いんです。

その人の経験とか微妙なギャグとか、伝えたいことがあり過ぎたり、読んでくれる人に楽しんで欲しかったりするから色々書くのでしょう。

ですが、正直メインのメッセージだけ読み取れればそれで良いんです。

だからそれだけ書いてくれ。

 

ということで、かなり失礼な感じで読んでいたことに気が付いた訳です。

 

 

同時に、自分の記事も同じように読者に読み飛ばされているんだろうと気付きました。 

 

 

こんな私でも、毎日一生懸命書いているので、なるべく多くの方に読んでいただきたいです。 

ですが、残念ながら読み飛ばされるのは仕方ないと思います。

書き手は一人ですが、読者は多数ですから。

 

忙しさも好きな文体も興味も、何もかもが違う人達が読んでいるのです。

そんな対象に向かって、全ての人が等しくしっかり読んでくれるような記事を書くことなんて、不可能です。

あっちを立てればこっちが立たず。

終いには不毛な努力に疲れ果てるだけです。

 

それでもなるべく多くの人に読んでもらえるように書き方や内容を工夫するか、自分のスタイルを突き進むかどうかは書き手次第です。

物書きで生計を立てているような場合には、書き方を工夫する必要があるでしょう。

一方、私のようにただの趣味であれば、そこまでする必要はないと思います。

その代わり、読んでもらえないことに対する文句は言えません。

 

書き手は、どんな記事をどう書くかを選べる権利がある一方で、その結果に対して文句を言う事は出来ないのです。

対して読者には、どの記事をどう読んでどう思うかについて絶対的な自由がある。

だから、私が他人の記事をどう読むかは私の勝手だし、自分の記事がどう読まれるかも、改善しようとしない以上仕方がないことなのです。

 

 

この話は、普段の仕事にも言えるかと思います。

 

私は普段、職業柄メールでやり取りをすることが多いです。

その時、文面をどう書くか。

それは、この問題と同じだと思います。

 

自分がどれだけメッセージを込めても、相手が読んでくれるかは、読んだとしてメッセージを受け取ってくれるかは分からない。

相手にメッセージを受け取って欲しければ、相手を意識して書かなくてはならない。

メールに限らず資料でもなんでもそうですね。

 

私はその目線が不足しているので、ミスコミュニケーションを起こしたりするのですが。

 

 

相手に受け取って欲しければ、受け取る側を意識する。

記事でもメールでも、コミュニケーションをする上ではそれが大切なんだと思います。