読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

世界の距離を詰める

果たして世界は一つだろうかと疑問に思う。

中二的な問いだが、真面目に。

 

「世界」という言葉の範囲はとても曖昧で、容易に変容しうる。

広くは、私達が今生きているこの「世界」。

宇宙があって、物理法則があって、地球があって、人間が生きていて、私やあなたがいる事実としての「世界」。

狭くは、私という人間が認知する「世界」。

あるものを美しいと思ったり、醜いと思ったりする、認識としての「世界」。

前者は確かに一つでしかない。(少なくともその中にいる私達が認識出来る限りにおいては。その向こう側に、例えば物理法則の存在しない「世界」がある可能性もある。)

だが後者は、原理的に言えば人間の数だけ存在する。

その意味で、「世界」は複数存在する。

 

例えば、ある風景を見たとして、私とあなたでは感じ方が異なるだろう。

私は美しいと感じ、あなたはそうでもないと感じるかもしれない。

それは、「世界」が違うから。

これまで育ってきた環境や、性格、知覚によって私とあなたの「世界」は異なるから。

私達は皆、自分の「世界」という壁の中に生きている訳だ。

 

その違いはとても大きく、容易に壁を超えることは出来ない。

私がいくら「美しい!」と言っても、あなたは「そう?」と答えるだけだろう。

自分の「世界」の中にいる限り、他人の「世界」を真に理解する事は出来ないから。

だけれども、人間は社会的な動物なので、自分の「世界」を誇示するだけでは生きていけない。

他人の「世界」も認める必要がある。

 

だから、共通点と相違点を見つける。

私とあなたの「世界」の似ているところ、違っているところを認識して、受け入れる。

そうすれば、各自の「世界」を保ったまま他人の「世界」と接する事が出来る。

そうして「世界」が接近すれば、人は互いの「世界」にいながらにして、他人の「世界」と触れ合える。

この「世界」と「世界」の距離を詰める作業を、人はコミュニケーションと呼ぶのだと思う。

 

 

なんて事を考えていたら、普段何気無く行う会話もなんだか高尚に思えてきた。

それは「世界」と「世界」の接近なのだ。

 

この記事を読んで「何言ってんだ、こいつ?」と思っても構わない。

私とあなたの「世界」は異なるのだから。