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緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

電車の乗り方

子供の頃、電車やエレベーターに乗る時には必ずドアの脇に立ち、降りる人を優先させてから乗る、という事を親から教わった。

 

これはマナー的な意味でもその通りだし、物理的にももっともだ。

降りようとする人の波に逆らって乗ろうとすると、当然流れがぶつかって滞る。

流れが滞れば、イライラする人や、乗れない人も出てくる。

降りる人と乗る人できちんとターンを分けた方が、イライラすることもないし、結果的により短い時間で乗り降りが終わるのだ。

 

私はこれを当たり前のこととして受け入れ、実践していたのだが、どうやらそうではないらしい。

普段電車に乗っていると、降りる人の波を掻き分けて乗ろうとする人が相当数存在する。

私がドアの脇で降車が終わるまで待っていると、後ろから背中を押してくる人もいる。

 

どうにも私は釈然としない。

降りる人を掻き分けて乗ることは苦痛ではないのだろうか。

前の人を押してまで乗ろうとするのは何故なのだろうか。

もしかしたら、発車のベルが鳴ってしまったので焦っているのかもしれない。

だが、車掌も馬鹿ではないので、きちんとホーム上で乗り切れていない所がないか確認の上ドアを閉める。

だから、乗ろうとしているのにドアが閉まる、ということは発生し得ない。

 

それでも我先にと乗ろうとするのは、心に余裕がないからだ。

「降りる人を待とう」と思える余裕がないからだ。

常に焦っていて、「自分が自分が」と考えているからだ。

これはきっと電車の乗り降り以外にも言えて、何にでも焦っていて、自分のことしか考えられない人が多分多い。

 

毎日毎日何かに焦っていて、追いかけられる日々というのは息が詰まる。

だから私は、余裕を持ちたい。

立ち止まることの出来る位の余裕を常に持ち続けていたい。

 

そんなことを思う私の前に、電車が滑り込んできた。

毎日毎日何かに焦っていて、追いかけられる日々というのは息が詰まる。

だから私は、余裕を持ちたい。

立ち止まることの出来る位の余裕を常に持ち続けていたい。

その為に、私は今日も、ドアの脇に立つ。