緩くいこうぜ、人生長いんだ。

お前の人生ようやく始まったようなもんじゃん。

【仏教まとめ4】輪廻と業

今回は、渇愛の原因についてまとめます。

mochiarion.hatenablog.com

 

前回、渇愛とは人間の欲望であるとお話ししました。

そして、渇愛があるが故に人間は苦のループに閉じ込められている。

渇愛を滅してそのループから抜けることが仏教の目的なのです。

では、何故人間には渇愛なんていう面倒臭いものがあるのでしょうか?

 

その為に、まずは輪廻についてまとめます。

 

輪廻とは今でもインドで信じられている考え方で、人の命は一代で終わるのではなく、死んだ後は次の命に生まれ変わり、命が廻るという考え方。

占いとかでもおなじみですね。

 

一般的には、時代も場所も越えて自分のコア、魂のようなものがあり、それが姿形を変えて廻っていくように思われます。

しかし、仏教ではそのような考えはしません。

なぜならば、この世界は無常であり、そのような不変なものは存在しないとするからです。

コア、魂が移っていくと考える場合には、前提として、そうやって絶対不変な存在を仮定しなければなりません。(これをと言います)

しかし、この世界は無常であるため、そのようなものは存在しない。

この「絶対不変な存在は存在しない」とする考え方を無我といいます。

 

つまり、輪廻では自分のコア、魂のようなものは廻らないのです。

 

では、無我だとして、輪廻では何が廻るのでしょう?

それは、命の中で行為により蓄積されたです。

正確に言うと、業が回るのではなく、業により命が生成されていくプロセスが、輪廻なのです

人間は、生きている限り必ず何らかの行為を行います。

その行為は良いものもあれば悪いものもあります。

悪い行為をした場合に蓄積するのが業です。

この業はポイントみたいなもので、命の中でどんどん溜まっていき、その命が尽きた時、効果を発揮して次の命を生み出します。

そして、その際に次の命に悪い行為の源である渇愛を植え付けます。

こうして、業により人は渇愛を持って生まれ続けるのです。

 

 

図にすると以下のようになります。

命が生まれる(渇愛)→渇愛に従って行為を行う→業がたまる→生命が死ぬ→溜まった業が新しい命を生む(渇愛が生まれる)→…

こうして、人間には面倒臭い渇愛なんてものが生まれるのです。

 

さて、今回のまとめのポイントは以下です。

  1. 渇愛の原因は輪廻の中で積み重ねられる業。
  2. 輪廻とは、業により命が生まれ続けるプロセス。

 

さて、ここで改めて仏教の目的を思い出してみると、それは「苦の原因である渇愛を滅する方法を習得し、そのループから抜け出る(悟る)こと」でした。

では、ある命の中で渇愛を滅すると輪廻的にはどうなるのでしょう?

また、結局悟りとはどのような状態なのでしょうか?

次回はその辺を書いていきます。

  

 

 

※あくまで個人が勉強した結果を個人のアウトプットとしてまとめているものです。

可能な限り書籍を参照して情報を集めていますが、間違っているポイントなどあると思います。

そのような点がありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。