緩くいこうぜ、人生長いんだ。

世の中どうでも良いことばかりだよ

お盆

朝、いつものように最寄り駅のホームで通勤電車を待っていると、いつもよりも断然人が少ないことに気付いた。世間は今お盆であるらしい。そういえば、先週の金曜日、三連休初日、東名高速道路が60km近い渋滞であるというニュースを見た。1km進むのに20分もかかったらしい。なんともご苦労な話である。

多くの企業は、お盆になると夏休みになるらしい。私の会社はそんなものはなく、各自取りたい時に取れという仕組みなので、全く関係ない。だから、この一週間は通勤電車が空いているということである。助かる。

私には、このお盆というものがよく分からない。生まれも育ちも神奈川県で、「実家に帰省」という事とは無縁の人生を歩んできたので、お盆だからどう、というものを経験していないのだ。

お盆は先祖の霊が現世に帰ってくるのを迎える期間らしい。久々に田舎のジジババに孫の顔でも見せて家族団らんを過ごそうというのが主な趣旨と思う。その考え方自体は素晴らしい。しかしながら、お盆に無縁の私は、その考えに拘泥して全員が画一的に休みを取る必要があるのだろうかと思ってしまう。

日本人は「皆一緒に」が大好きである。こと休みに関しては、GWを始め、様々な祝日等があり、皆一緒に休みを取っている。強制的に休みになるのは良いのだが、その反面皆が一斉に旅行や遊びに出かけるため、各地の観光地が混雑する。観光地的にはピークが見込めるので楽なのかもしれないが、行く側としてはどこに行っても大混雑で、心休まるどころの話ではない。お盆も然りで、わざわざクソ混んでいる高速道路を使って旅行に出かける必要なんてないであろう。車の中では子供たちがごねり始め、両親はイライラし、仕舞には阿鼻叫喚か無言の気不味い雰囲気になるのがオチである。

そんな事になるくらいであれば、皆バラバラに休みを取り、空いているタイミングで旅行に行ければ、もっとゆとりが持てるのでは無いだろうか。「お盆という伝統が」という人もいるであろう。しかしながら、世は移ろいゆくものである。全ての伝統がいつまでも変わらずに保持されるべきかと言えばそうではない。大事なのは形ではなく中身である。それかあるかどうかは別として、お盆という形の伝統が廃れても、代わりに別の先祖を思う気持ち、形があれば良いのはなかろうかと思う。

「皆一緒に」も然りである。これからの時代は個人の力が強くなる。そんな中で、いつまでも「皆一緒に」と言ってはいられない。各々がそれぞれ生きやすいように生きる。そういう社会になっていくことを願う。また、そういう社会を作っていくのが私達の世代なのだと思う。

せっかくのお盆である。今の日本社会を作った先祖達の霊に祈りを捧げつつ、新しい社会を作っていく為の決別をしてみてはどうだろうか。