緩くいこうぜ、人生長いんだ。

世の中どうでも良いことばかりだよ

軸足

思えば、私は軸足が無いように思う。つまり、私というものを強く規定する何かが存在しないのだ。

私が読者になっている方々のブログを見ると、ある人はアートについて、またある人は、カウンセリングについて書いていて、全ての記事がそのテーマに繋がっている。ある一つのテーマに沿って、その視点から物事を見て書いた記事は、独特の深い洞察があり、ある時は鋭く、ある時は新しく、読んでいて惹き込まれる。

翻って私はと言うと、書くことはかなりバラバラである。ある時は筋トレであり、仏教であり、雑記だったりする(プログラミングは完全に沈黙した)。それらの記事は、ある一つの視点から見ている訳ではない。ただ思いついたままに、ありあわせの知識で書いているだけである。その為、一つ一つの記事が浅く、薄い。洞察といったものは無く、ただ表面を流れていくだけのものである。

これはブログの記事のみならず、私という人間そのものにも言える。私という人間を問われた時、私は上手く答えることが出来ない。「私は25歳の会社員で、神奈川県に住んでいて…」という事実を答える事は出来る。しかし、好きな事や大事にしていること、英語で言えば「What is your passion?」という質問に答える事が出来ないのだ。それだけ強いものが私の中に無いからである。

それは、私の過去と関係しているように思う。これまでの人生、小さい頃から親の機嫌を伺って生きてきた。中学受験から就活までも、極端に言えば親の言うことを聞いてきた。私の中に「私」というものが無く、外部からの評価や指示に依存してきたのである。だから、「あなたは何?」と問われた時に客観的な事実は答えられたとしても、主観的な想いが答えられないのである。

きっと私は、ようやくこの年になって自分というものを見つけ、作り出そうとしているらしい。なんとか自分が好きだと言えるような、熱中出来るような何かを探そうとしているらしい。その作業は中々難しい。色々な事に挑戦するのはエネルギーがいる。お金も時間もかかる。だがしかし、それらを通じてこそ、きっと私は私を本当の意味で規定出来るようになると思うのだ。

いつか私が「あなたは何?」という問に答えられるようになる日まで、私はそれを探し続けるのだろう。