緩くいこうぜ、人生長いんだ。

世の中どうでも良いことばかりだよ

【読書記録】勉強の哲学

偶然書店で見つけた本書。最近Twitterでも話題のようなので、ためしに読んでみた。なんだか胡散臭い本だと思いながら読んでみたら、その実中身はかなり深い哲学書。勉強というものを言語論、世界論の立場から深く、迂遠に語っている本。

この本は、いわゆる「勉強のハウツー」ではない。もっと根本的に、広く、「勉強とは何か」を語っている。そして、それに基づいて最後の方に少しだけ具体的な勉強方法が記載されている。著者の考えを私なりにまとめると以下のようになる。

 

勉強とは、ある世界から他の世界への絶えざる移行である。人間は日々、無意識の内にある世界の常識(コード)に支配されて生きている。コードはその世界の中でしか存在、共有されないものであり、それらは言語により規定されている。その世界のコードが言語に意味付けられ、それを共有することによりその世界の一員たり得ているのである。

勉強とは、そのコードに疑いを持ち、抜け出し、別のコードへと自らを移行させていくことである。つまり、ある世界で認識されているコードから自らを引き剥がし、別の世界のコードを身に付けるということである。

方法は二つ。一つ目はアイロニーアイロニーとは、物事を批判的に見ることで、現在共有するコードを疑うことである。アイロニーを通じて、人は自らが無意識の中に持っているコードを破壊することが出来る。言ってみれば、垂直的深化である。

二つ目はユーモア。ユーモアは、コードとコードを繋げることである。ある世界のコードと別の世界のコードの共通点を見つけて結び付けることである。ユーモアを通じて、人はコードとコードを繋げ、移動することが出来る。言ってみれば、水平的汎化である。

勉強とは、このアイロニーとユーモアを絶えず繰り返すことである。つまり、物事に対して垂直的に深堀りをし、また水平的に移動する。こうすることで、複数のコードに身を置くことが出来る。

原理的に勉強に際限はない。しかし、だからと言って無尽蔵に勉強することは出来ない。だからこそ、ある程度の所で、自分が「まぁ良いか」と思える所で勉強を中断することが大切になる。これを勉強の有限化と言う。勉強を有限化した段階で別のコードへ移行し、また戻ってくる。そんな繰り返しが、勉強なのである。

 

他にも色々と書いてあるのだが、まとめると上記のような内容になると思う。読んでいてとても納得がいったのが、「勉強とは、世界から世界への移行」という部分。確かに、私も仏教や筋トレを学ぶ中で、それまでは知りもしなかった事柄を知るようになった。そうなると、それまで見えていたものが全く別の見え方をするようになった。

例えば、面倒臭い仕事に対して、仏教を知る前は常に心を捉えられて精神を摩耗していた。しかし、仏教の無常や縁起の法則をしると、それらはあくまで一時的なものであり、永遠ではないという風に捉えられるようになり、心が楽になった。

他にも、筋トレを学べば日々の食事も大事な栄養摂取となるし、英語を学べば日本語との対比が見えてくる。

そんな風に、別の世界のコードを学ぶことにより、一つの物事を様々な見方で見るようになることが、勉強というものの本質なのだと思う。だからこそ、大学の勉強なんかは、あれやこれや色々取ると面白かったのだと思う。

社会人になると、勉強は試験勉強位しか無いので、その面白さから遠く離れてしまう。しかし、本書にあるような見方で勉強を捉えると、日々新しい知識を取り入れるのはとても楽しいものになると思う。

 

本書は、正直言って理解しやすくはない。概念的な話題が多く、理解するのに時間がかかる。私自身、二週目にしてようやく内容をなんとなく理解した。しかし、クドいくらい説明が書かれているにも関わらず読みやすいので、何回か読むことをオススメする。本書には、それだけの価値があると思う。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために