緩くいこうぜ、人生長いんだ。

What matters is how you live your life.

文脈の割合

昨日書いた文脈についての考えが、自分の中で妙にしっくりきたので、そこから派生した考えを書く。

我々は皆複数の文脈に身を置き、それらを行き来しながら生きているわけだが、それら文脈の割合は均等ではない。時間的に均等でないし、精神的にも均等ではない。

例えば、多くの人は企業で働いている限り一日の内8時間以上を仕事の文脈に費やしている。それは睡眠時間を除けば一日の三分の一だから、かなりの割合を仕事の文脈に割いているわけである。そして、残った三分の一を家庭や趣味の文脈に割り当てる。残業や週末もあったり、職種により異なるから一概には言えないが、恐らくは仕事の文脈が7割、残りが他の文脈、というのが大概ではなかろうか。(睡眠時間は除く)

対して、精神的な割合が時間の割合と同じかというと、そうとも限らない。いやむしろ、違うことの方が多いのではなかろうか。例えば私であれば、時間的な割合は仕事6・勉強3・趣味1だが、精神的な割合でいけば仕事3・勉強5・趣味2である。時間と精神にそこまでの乖離はないものの、より多くの時間を費やしたい勉強にそこまで時間を割けないのがストレスだったりする。この乖離が大きい、あるいは時間的な割合がどれか一つに偏っている状態は危険な可能性がある。

例えば、私の精神的な割合で時間的な割合が仕事9・勉強0・趣味1とかだったら、私はやりたいこともできず仕事に忙殺されているので、とんでもないストレスを抱えることになる。反対に、時間的には仕事は6なのに精神的には9とかであれば、もっと働きたいと思っているのにできないもどかしさを感じるはずである(あるいは、休みの日も仕事の事が頭から離れない状態か)。

何が言いたいかというと、自分が時間的に費やす文脈の割合と、各文脈に対する自身の精神的な割合を知ることは大切だということである。それを知ることで、例えば自分が頑張りたくもないことに頑張りすぎていないか、偏った考え方をしていないか点検し、修正することができる。ただ漫然と日々に流されるのではなく、自分がどのような割合で各文脈の中にいたいかを感じ、そうなるようにすることが、より良い人生の為に必要なのではなかろうか。

私たちは複数の文脈に生きている。しかし、それらは決して時間的にも精神的にも均等ではない。自分がどのような割合で各文脈の中に生きたいか、現実との乖離はどうなっているか、自分を顧みて修正することが必要だ。