緩くいこうぜ、人生長いんだ。

What matters is how you live your life.

見たくないものは見なくていい

SNSは、もはや我々の生活の一部になっている。TwitterFacebookInstagram。あるいはこのブログだってSNSかもしれない。定義は曖昧である。皆様はどれを使用されているだろうか。

私はTwitterしかやっていない。しかも、見るだけ。現実世界の友人は数えるほどしかフォローしておらず、他は企業の公式や有用なものくらいである。昔はまぁまぁ投稿していたし、現実世界の友人も多かった。しかし、全部解除したし投稿もほとんどしていない。Facebookも昔はやっていて、結構投稿もしていた。しかし、今はもうアプリすらインストールしていない。PCでも、本当にたまに何かの拍子に開くだけである。なぜか。

一言でいえば、疲れたのである。俗にいう「SNS疲れ」。元々の定義としては、他の人がアップした写真に対して無理にでもイイねを押さないといけない心労、ということだったと思うが、私の場合は少し違う。そんなレベルはとうに超えており、そもそも見たくもない投稿が多すぎるのだ。

Facebookを開けば、友人達がやれ旅行に行っただ新しい仕事に挑戦するだとかが溢れている。Twitterを覗けば、女性問題に関心のある人やインフルエンサーが女性軽視に関するツイートをこれでもかとリツイートしている。正直にいえば、そんなものはどうでもいい。むしろ、そのような投稿を見ることで、私はなんだか惨めな・嫌な気持ちになるのだ。

私の好きなバンド・amazarashiの「タクシードライバー」という曲に以下のような歌詞がある。

流れる都市の景色があまりにもきらびやかで 相対的に僕らの幸福は萎縮して

 そう。他の人が幸せだよーとか楽しいよーとかSNSにアップすることで、その人は幸せになるかもしれない。しかし、それを見た私は、自らの境遇と照らし合わせ、その表面的な差分を意識することで、自らの幸福度を貶めてしまうのだ。だから、私にとってそれらは、見たくもない情報なのである。

そのような情報とどのように付き合うか。見なければいいのである。何も自分の心持ちが悪くなるような情報にあえて触れに行く必要はない。世の中にはあえて苦手なものに触れなければならないという意見もあるようだが、そんなもの精神衛生上不適切である。ましてや、個人の生活に関する情報など、クソのほどにも役に立たない。見たくないものは見なくていいのである。

だから私はSNSをほとんどやらなくなった。Facebookに関してはアカウントを消してしまってもいいのだが、残念ながらそこでしか連絡先を知らない人も多数いるので、消せないでいる。Twitterは、有益な情報だけ残せば結構使える。ということで、私はこれからも、見たくないものは見ない。そうでもしなければ、現代は生きれないだろう。