緩くいこうぜ、人生長いんだ。

What matters is how you live your life.

伝える者の責任

昨日は、所属するTOAST MASTERSで基礎テキストの最後のスピーチを行ってきた。

TOAST MASTERSでは、 新規メンバーに対してスピーチの基礎テキストが渡される。そこには、スピーチの基礎が10段階(プロジェクト)で説明してあり、1プロジェクトにつき1スピーチを行い、全てを終わらせることを目指すのだ。私は所属してから2年間でようやく終了させることができた。でも、平均よりも早いペースだという。

スピーチの題材は、「なぜスピーチをするのか」というもの。今年に入り、私はコンテストに向けてスピーチを行ってきた。残念ながら勝ち進むことはできなかったものの、その過程で「なぜ自分はスピーチを行うのだろうか」ということを疑問に思うようになった。

スピーチのコアはメッセージである。聴衆に訴えかけ、動かすような強いメッセージが求められる。しかし、それを考えてみると、果たして自分にはそうまでして聴衆に伝えたいメッセージがあるのか疑問に思うようになった。確かに自分の人生の中で大事だと思うことはある。しかし、それらはあくまで個人的な出来事や思想であり、誰かに伝えることが求められるようなものでもない。ましてやスピーチでは、誰かに頼まれたわけではなく、自分から話すことになるので、自分から積極的に人様に伝えるようなことは正直ないのだ。だから、私はコンテストのスピーチを作る際、本当に悩み、方向性が見えなくなった。自分が何を伝えたいのか。そもそも伝えるに値するものなどあるのだろうか。なせ自分は、スピーチをするのだろうか。そんなことを考え、悩んだことを、スピーチにしてみたというわけだ。

何をどのように伝えるのかは伝える者に責任がある。それをどのように受け取るかは受け手の責任であり、伝える者は、自分が意図する内容が最大限伝わるように工夫しなくてはならない。しかし、その時問題になるのは、なぜそれを伝えたいのか、であると思う。聴衆にどのようになってほしいのか。その情報を広めることでどのような効果があるのか。自分はなぜそれを伝える必要があるのか。それをおろそかにしては、何を伝えるかもはっきりしない曖昧なものが出来上がると思う。これは、スピーチだけでなく、ブログにも当てはまる。私はこうしてよくわからない話を毎日書いているが、その目的はなんなのだろうか。私は何を実現したくて、これを書いているのだろうか。そう思うと、正直よくわからない。

ちなみに、そのスピーチの終わりは、スピーチをする理由は、スピーチをすることでしかわからないというものであった。沢山スピーチをすれば、答えに近づく気がする。だから私は、スピーチをし続ける。という決意表明で幕を閉じた。そこに嘘はない。きっと、答えなんてものはそう簡単に見出せるものではなくて、長い過程の中で見つかっては変化していく者であると思う。だからこそ、私はスピーチもブログも、続けていこうと思うのだ。