緩くいこうぜ、人生長いんだ。

What matters is how you live your life.

死の基準

最近、知り合いに勧められて英国の雑誌The Economistを読んでいる。

先週号の中で、以下の記事が非常に考えさせられて面白かった。

www.economist.com

内容は、人間の死の基準について。西洋では脳死(脳の機能が全て停止すること)を死の基準とする国が多いのに対し、アジアや発展途上国では心肺機能の停止を基準にする国が多いという。これまで、人間が死ぬときは脳も心肺機能もだいたい同じタイミングで機能を停止するケースが多かったので、そこまで明確な死の定義というものは必要なかった。しかし、現代は医学が発展し、必ずしもそうではなくなってきている。

死の定義に関して、現在は世界共通の基準は存在しない。定義は宗教や文化に影響される部分がある上、やはり身近な個人に対しての想いというものが何を基準とするかという合理性に抵抗する。例えば、脳死を基準とする場合でも、延命装置を使用して人工的に心肺機能を維持させることができる。そうなると、例えばその患者の親族が死亡判定を受け入れず延命を希望した場合、果たしてその患者は死亡したのだろうか。

世界的には、脳死を死の基準とする動きがある。これは、臓器提供の機会を増やすためでもある。世界的に、臓器提供者が不足しており、臓器がないために命を落とす人が多数いるという。死の基準が脳死と定まり、そこで延命を中止することができれば、その患者の臓器を提供し、他の患者の命を救うことができるかもしれない。もちろん、親族の同意の上だが。

もし私が脳死したとしたら、延命措置を施してもらうよりは潔く死んで、自分の臓器で誰かが助かる方がいいと思う。しかし、では自分の妻や家族が同じ状況になったらどうかと言われると、悩ましい。だからこそ、自分が死んだらどのように扱って欲しいかを個人がしっかりと意思表明をし、周囲はそれを尊重するべきだ。

これから日本はますます高齢化していく。生よりも死の方に焦点があたり、人々は自らの死について考えるべき時が来るだろう。その時のために、自らの死生観について、ある程度考えておく必要があるのだと思う。