緩くいこうぜ、人生長いんだ。

What matters is how you live your life.

えもいわれぬ焦燥感

日曜日になると、私は休むのが下手だなぁと思い、そんな自分に辟易する。端的に言うと、やりたいことよりもやるべきことをこなそうとするため、心と身体が休まらないのだ。

なぜそうなるかというと、日曜日になると「どうすれば有意義な一日にできるか」ということを考えるからだ。ここでいう「有意義」とは、時間を無駄にせず効率的に動き、自分にとってプラスになることをするという意味。なので、朝起きるとまず、一日の中でやるべきことをホワイトボードにリストアップして、どのように一日を過ごそうかと計画を立てる。

それはそれで重要なことかもしれない。しかし、正直これはものすごく疲れる。せっかく自由に使える時間を自分から縛って限定するというのは、まるで休みの日にも仕事をするようなものであり、なんだか窮屈だ。だから、そうやって一日を過ごした後に思うのは、「有意義な一日だった」ではなく、「なんだか疲れた」だったりする。

本当は何をしたいかというと、何もしたくない。グータラとお布団の中でYoutubeとか観て時間を浪費して、たまに起き上がってモンハンやって、ご飯は食べたり食べなかったりで、気ままにお風呂に入って、「あぁ、無駄だなぁ」と若干の背徳感を感じながら一日を終える。そんなクソみたいな一日を過ごしたい。ビバ・クソ。

では、なぜそうしないかというと、えもいわれぬ焦燥感があるからだ。なんというか、自分は今のままで良いのか、時間を無駄にしても良いのか、という焦りが常につきまとっている。今の仕事は別にやりたいことではない。会社ではやりたいことや希望を聞かれるが、正直ない。かといって別にやりたいこともないし、会社がそこまで嫌という訳ではない。それゆえに翻訳の勉強をしているが、じゃあすぐに翻訳の仕事をもらえるかというとそういう職業でもない。自分はどこに進めばいいのか、今後の人生何でお金を稼いで、どうやって生きていきたいのかが分からない。分からないから不安になる。不安を解消するために何かしなければと思う。焦る。そんな流れが常に自分の中にある。だから、休みのひも無駄にしたく無いと思い、疲れてしまう。せめて何か一つ現状を打破することができるか、そんな現状を諦めることができれば変わるのだろうが、そんな上手くいく訳もない。本当に、目に見えない何かに怯えている状況だ。

また今日もやるべきことが多い。グータラクソみたいに時間を浪費することは難しそうだ。相変わらず私は休むのが下手なようだ。それでいいのか?それがいいのか?この焦燥感は、いつか無くなるのだろうか。